おねロリの人、さんざんクレームが来てるだろう名前はそのまま使い続けてる割に、差別という言及には急に反省しだすの、スタンスが分かりやすい。


後継アカウント見ると、陰謀論者が溢れるなかでどうツイートするか……みたいな反省してるけど、誤読からの非難が昔から溢れ返るtwitterで今更そんなことを考えても、あまりにも遅すぎる。twitter使ってるような人なら、そんな話は遥か昔に終わったことだって分かってるでしょ、さすがに。

 

にも関わらずそんな愚にも付かない反省をしてしまうのは、素直な良心の発露なんだと思うんだよな。で、名前が名前だけに、そういう良心はそこそこ信頼できる。
というわけで、久々に人のほんとうの良心をネットで見たなあ、という気持ちになれたのだった。

 

イワンの語るような国家と宗教の関係性/緊張は、現代では宗教がレースから完全に脱落しているために議論として成立しないが、では宗教の代わりに何を当てはめればいいのか?

 

そんな極めて古臭い問題は古臭いがゆえに解決していたつもりでいたのに、結局は問題自体が不可視になっていただけだった、という整理でまあいいと思うんですね(なので、例えばトランプを攻撃しても何も問題は可視化されない)。

そこまではOKとして、じゃあ宗教の代わりとなる、宗教を含む複数のパーツがそれぞれどのように配置されていくのかと考えたとき、帰納による学習の精度という観点で考えるのが一番スッキリする、ということで若干考えが進んだ気がする日曜日だった。

『ジョゼ』、悪くないんだけど何かしっくりこない。確認用に読んだ原作はとても良かった。

まあ正しさっていう観点から作ると、才能を活かして活躍するとか、独り立ちして頑張っていくとか、そういう世間一般に素晴らしいとされている道以外は用意されないので、原作みたいな話はできないんだよなあ。やれやれって感じですね。

 

FUNAN、残念でしたね。日和りすぎ。これだったらクメール・ルージュの話である必要はないんじゃないでしょうか。

 

この映画だけで見るとプノンペン占領前後で一気に変わってしまったように見えるけど、カンボジア全体で見ればもうそのずっと前から酷いことになってたし、ていうか酷いことになってたからクメール・ルージュみたいなものが成立できたんだし、そういうのすっ飛ばしてこういう描き方しちゃうと、金持ちを農村に連れてってざまあする「なろう」物語の別側面、みたいな見方も成立しちゃうわけですよ。それはおかしいでしょ。

積み重なっていったものごとが集積して破綻した結果の悲劇を、なんかよくわからんところから突然降って沸いてきたやべーやつらが仕掛けてきた悲劇! みたいに描くのもう止めない? という気分が一層募っていく映画でした。

建前:さすが! 最高の映像だな!

本音:オリジナル映画の企画が通るまで「死ぬ気でバーニング!」を川村に聞かせ続けたい

 

FateHF。分岐が透けて見えてくる、あるいはゲーム故の構造をアニメに落とし込むときの齟齬はハッキリと見える*1あたり、十分に予習してきてねという内容なのだが、そういう作品だからコロナ下での初ヒット映画になれるかも、というのはあるんだろう。とりあえず状況が状況なのでヒットはして欲しい。

 

あと何度も同じようなことを言っている気がするが、Fate HF は思った以上に客層が若い。

自分がリアルタイムで接していない10年以上も前に始まった作品に付き合うっていう感覚はよく分からんなあと思ったが、よく考えたら自分はもともとヤマトとかガンダムとかはかなり醒めた見方をしていたので、単に自分がそういう考え方をしているというだけでしかないのだろうなという気はした。若い人たちは今から頑張って死徒27祖とかを調べていくんだなあと考えると、まあマジでガンダムと変わらん。

 

*1:ゲームはルート別にキャラを掘り下げる、つまりifを何度も繰り返しつつ物語れるという構造があるので、例えばキャラ間の関係が常に物語を収束するようには働かない。本作ではセイバーもイリヤも言峰も浮きまくっているが、作品の性格上それ自体を疵と考えるのはコンセプト自体にケンカを売るだけであまり意味がないように思える