とらドラ! の話 その2

先日の座談で主張したところ、えらい評判の悪かった「ラストで大河がすぐ戻ってくるのは、6巻で会長を殴りに行ったから」という話について。
座談でも6巻は別に要らないと言われ、実際迷走感はあるんだけども*1、僕は6巻ってかなり好き。
好きな理由はいくつかあるけど、一つには、大河の殴り込みは誰にとっても間違えようの無いほどストレートな行動だということ。誰かのためを思って行動したところで何かとズレてしまうとらドラ! 内では凄く浮いているエピソードで、故にアニメ16話沼田作画(殴りこみ部分)の浮き方は心に響く。他のどんな媒体にも真似できやしねー。
で、原作に話を戻しつつすげーつまんない書き方をすると、北村=自分、狩野すみれ=親、なので北村のそばにはいられなかった、でも大河はすみれに殴り込みをかけに行くことはできて、そしたらすみれも実は北村のことが嫌いなんかじゃなかった、10巻ラストの大河は北村のそばにもいられるようになった(相手は北村ではないんだが)、ならば大河はすぐに戻ってこれる……こう書き下すと本当につまんないなー。無粋の極み。すぐに戻ってこれるのは外部環境(親)が良かっただけ、というプイの指摘はその通りだと思うけど、でもそれは分からないことだから、そこは信じたい、信じていいんだっていう話なのかな、と。読者として大河のことを信じたかっただけかもしれない。この辺は冷静にならないとよくわかんないなー。


もうちょい6巻の話、もう一つ好きなのは大河の感情描写。間違いようのないほどストレートと書いたけど、それは会長を許せないという気持ちは間違いようがないだけで、その周辺状況は大河ですらよくわかってない。大河が北村のことを好きだと再確認するという内心描写はあるけど、こんなにドラマチックな場面の本人の内心描写でありながらそれは額面通りには受け取れない。何故なら、よりによってこの場面の直後に二枚目の写真の話が出てくるから。これって冷静に考えると、大河と竜児間を無理矢理結び付けるために取って付けられたエピソードにも見える*2し、凄く不自然でいびつなんだけど、そのいびつさがとらドラ! らしさというか、自分も他人も読者すら「本当の気持ちはわからない」っていうごく当たり前のことを描写するにはこれぐらいの破綻が必要なんだろう、と。少し贔屓目かもしれないけど、これくらい大きく解釈してしまえるだけのキャパを持ってる作品かなと思う。
翻ってアニメの場合、どうしても媒体の特性上スルーできずに描かざるを得ない面があって、損してるかも。福男でゴールしたときの大河の表情にせよ、会長の告白を聞いているときの大河の表情にせよ、って大河の話ばっかだな! どれだけ大河が好きなんだよ! うわああああ大河あああーーーーーーーっっっ!


何処が好き、みたいなオナニー臭の強いスイーツな感想になってきましたが、もうちょい大河の話が続くと思います。まだ周りを見る余裕が無い。





*1:http://news.dengeki.com/elem/000/000/147/147956/ の苦労話なんてさもありなんという感じ

*2:実際、原作では二枚目の写真の話は6巻以降出てこない