奇跡を信じて 想いは届くと

ttp://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20090801#1249461034
>『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は思いのほかデジモンの映画だったのだな、と改めて気付かされる。


そもそも、ぼくらのウォーゲームラスト、すなわちモニタの中へ太一たちが入っていくという展開は、細田監督による発案ではなかった。DVD映像特典で本人が言っているように、東映アニメーション社長(当時)の泊氏による発案だった。つまり「デジモン」であると同時に、「東映まんがまつり(東映アニメフェア)」であった。少年漫画的イデオロギーという普遍的情熱が、ウォゲを傑作たらしめる要因であったことは確かだ。


事実上初のオリジナルである時かけを見て、何を一番不安に感じたかといえばそこだった。作品を貫く情熱が何処にあるのか? しかし「時をかける」設定そのものが壁を越える行為そのものと言えるし、最後に跳ぶシーンのアニメーション*1がまた本当に素晴らしくて、十分に心を揺さぶる奇跡になっていたと思う。
しかしサマーウォーズは、結局こうなるんだなあと思い知らされた映画だった。だからサマーウォーズは見るのが辛い。つまらないアニメなどではないのが本当に辛い。せめてぼくらのウォーゲームとは違う体裁であれば、ここまでロコツにならなくて済んだはずなのに。

*1:宮澤康紀原画