エイラの視線

命令違反直前の
1.宮藤からサーニャへの目線⇒2.サーニャを見つめるエイラ⇒3.サーニャ⇒4.サーニャを見つめるエイラ⇒5.サーニャ、エイラに目線を送る⇒6.エイラ、サーニャを守ると宣言
という単純なシークエンス。(交互に映す際、少しずつカメラがキャラに寄っていく)
エイラとサーニャが交互に映され、それぞれ似たような画面揺らし+カメラ寄りであるために対称の構造になっているようだが、実際に見れば分かるとおり機能的には異なる。
エイラが映されるショット(2、4)は、エイラ正面顔のアップが映されており、視聴者がエイラに感情移入するためのショットである。
サーニャが映されるカット(1、3、5)は、当のサーニャがカメラに対して明後日の方向を向いているため、エイラ視点で見たサーニャである。
よって、1〜5まではエイラに感情移入していくショットである。
ここまではいいのだが、それでは何故、サーニャにカメラが寄っていくのか?


サーニャが映されるカットにおいてカメラが引いていく物理的な必然性はあっても寄っていく必然性は無い。エイラとサーニャは、リアルタイムに物理的な距離が引き離されているはずであり、エイラ視点から見ればサーニャは小さくなる(カメラが引く)方がむしろ自然である。
それでもカメラが寄るのは、このシークエンス(1〜5)がエイラの感情に支配されているため、と考えるのが妥当だろう。カメラが物理的な制約を超え、エイラの感情とそのままシンクロした映像を映している。
これは、エイラが赤面する(6)ことからも理解できる。物理的に覗いていることがバレたから赤面しているわけではなく、エイラのサーニャに対する思い(1〜5)を覗かれたからこそ赤面するのだ。
ここのカラクリにはもう一つポイントがある。それは、場所が超高空で位置を特定するようなものがない、ということ。マンガでは背景の省略を許されるタイミングの幅が広いため、物理的空間の制約を逃れやすく感情に支配された空間(少女マンガなどを思い浮かべて欲しい)が使いやすいが、アニメの場合は背景の無い画面を使うには何らかの特殊な処理が必要であるため、どうしても物理的な空間の制約を受けやすい。ところがこのシークエンスでは高空+超高速であるため背景が位置情報を示さない。エイラとサーニャの物理的な距離を感じさせないまま、感情的な距離だけが表現されている。


以上から、現実の距離・制約が取り払われ、エイラの感情のみを純粋に取り出した映像が1〜5で流れた事になる。そして5ではもうほとんど顔のアップであり、感情的な距離の無さ、強い思いが示される。