ばばうぜえ


ニコニココメントが流れる形式のアニメのことは一応検討してて、当たり前だけどやっぱダメだなこれはと思って以降は正直何も考えてない。
昔書いてたものを元に一応整理してみたけど、書いてから時間が経過した割に再検討が必要そうなところも特になさそう。最近で言えば、ローニャでコメントが画面の外に表示されるようになってて、結局ニコニコ自身もコメント邪魔だと考えてんのかよと思ったくらい。

  • コメントによって画面が見られなくなる、集中できなくなる、みたいな話は別にニコニコに始まった話ではない。映画 ⇒ テレビ ⇒ テレビの普及 ⇒ テレビ以外の娯楽の充実 という大きな流れのうちにある一つの要素、以上のものとして議論するのは難しそう。
  • コメントの意味内容は社会的証明、コメントという形式は動画の客観化として整理できる。
    • 社会的証明
      • バラエティの録音笑い、テロップ、ひな壇芸人のリアクション芸、感動の涙を流してくれる徳光和夫。客にアウトソーシングするというのは新しいといえば新しいのかもしれないけど、その新しさを検討したところで、結局のところ過去散々やられているだろう研究をやり直すのと大きくは変わらない気がする。
      • そもそもあの短いコメントで社会的証明以外の意味内容を持つコミュニケーションをするのは困難なのでは? (荒らしにしかなれなそう)
      • 消費者研究がしたい人には便利だと思う。
    • 客観化
      • 作品世界の外部が意識されるので、客観的な見方になる。
      • 客観的ということは喜劇に向いている。特にコント形式のように、客観のみで進行することが前提のものは相性がいい。
      • 喜劇でなくとも、カメラが客観的でさえあれば向いている。なので、ギャグ作品とは呼びにくいような4コマ系ともだいたい相性がいい。
      • 表現しようとしているテーマがどうであれ、存在自体が喜劇となってしまったクソアニメとも当然ながら相性はよい。
      • 客観化は批評にも相性がいいが、文字数の関係でおおむね無理。情報の提示が精一杯。
      • 映像的な仕掛けとして強力すぎるため、多様性と全く相容れない。どんな内容だろうと関係なく、バラエティ番組やコント番組のような画一的な見え方にしようとしてくる。

結局最初に考察したときと全く同じ結論になるんだけど、アニメじゃなくてテレビのバラエティ番組について論じているみたいで、新しい事について考えている気が全くしないのがたぶん一番よくない。