リアリティのダンス 監督:ホドロフスキー

人間、歳を取ると人生のセラピーとか癒しとか言い始めてしまうもので、ホドロフスキーも例外ではなかったんだけど、それでどうしてこんなキッチュなものが出来上がってしまうのか。
いや、極めてパーソナルな物語であることも分かるし、この物語が監督のセラピーになるのも分かるし、他人から見ても物語の意味は分かる。分かるんだが、展開とビジュアルが極端すぎる。いきなりの大津波で大量の魚が打ち上げられる非現実的な光景だったり、ママンが父さんを治癒するために放尿したり(しかもそれを股間にボカシが入るくらい真正面からガッツリ映す)、ショッキングな映像が唐突にやってくる。色合いも、どうやらあとからCGで修正してこうなってるらしいんだが、まあひどくケバケバしい。


この放尿ママンは放尿以外も奇行が目立ち、全裸で酒場に乗り込んだり(気付かれなければ問題ないという謎の理論)、闇を怖がる息子を靴墨で真っ黒に染め上げてみたり、喋るときは全部オペラだったり、そもそも冒頭でお前はもう息子でもなんでもないと言い放ってたり(そういやここに対する和解は一切なかった)、母性あふれる女性のような第一印象とかけ離れた、とかくインパクトが強い行動ばかりしてくれる。


ホドロフスキーの親父も強権的で極端なヤツなのだが、そのキャラクターよりも彼自身の物語が滅茶苦茶過ぎる。さすがにイバニェス暗殺しに行ったり記憶喪失になるようなくだりは全部創作だろう。最初はホドロフスキー本人の方が主人公だと思ってたから、どんどん親父の精神面へと焦点が絞られていく展開は全然予想できなくて、鑑賞が終わった今となっては何故親父に焦点が移るのか分かるので納得できるのだが、この物語は一体何処へ行ってしまうんだという鑑賞中のハラハラ感は、ちょっと普通の映画では味わえない感覚だろう。


あと船で去るラストシーン、なんか変なガイコツの衣装着た奴がしれっと居るけど、あれなんなんだよ。紆余曲折はあったけどとりあえず決着がついて、よしさあ終わろうってところで、何故か唐突に居る。いや、えーと、あなたどちらさま? という場違い感が半端ではない。なんの引っかかりもなく終わらせてくれないんだな、ホドロフスキーは。




そんなひたすらカルトな映像ながら、ホドロフスキーの豊かな感性と精神性、そしてまともなメッセージがきちんと伝わってくる。そう丸め込まれているだけのような気もしないでもないが。




あーあと、チリの軍事独裁政権下って宣伝してたんで、てっきりピノチェトの話なのかと思ってた。イバニェスか。